第五回うるま十・十平和祭り(2003)
◆ピースシンポジウム・レポート
ラ米通信=CORREOLA=CORREO LATINOAMERICANO
【沖縄通信003−031009】那覇発=伊高浩昭(IDAKA Hiroaki)
6カ国市民協議の制度化をー「うるま祭りシンポジウム」報告
喜納昌吉ー真にアジア的なアジア連合(AU)を
北朝鮮に〈核疑惑〉は存在しないー伊藤成彦
姜ムンキョウーブッシュ再選なら深刻な脅威
韓国の闘争に学び交流をー石川元平
◆うるま世界平和祈年祭・レポート
ラ米通信=CORREOLA=CORREO LATINOAMERICANO
【沖縄通信002−031010】那覇発=伊高浩昭(IDAKA Hiroaki)
「10・10空襲」の日を〈平和の日〉に「うるま・琉球・沖縄世界平和之島」で祈願式典 喜納昌吉が『花』を歌って奉納
◆38度線での朝鮮半島分断政策の歴史
ラ米通信=CORREOLA=CORREO LATINOAMERICANO
【アジア通信001−031025】伊高浩昭(IDAKA Hiroaki)
韓桂玉教授が「うるま祭り」シンポジウムで説明
◆ ロリーナ・バニヤッカ(アメリカ先住民ホピ族・メッセンジャー)
第2次世界大戦中に起きました、10・10空襲で被害にあったスピリットを供養する「うるま祭り」に参加し、沖縄の人々の戦争体験、悲しみを改めて感じ、「平和」の必要性を痛感した。
◆弥生遺跡・斎場御嶽から平和の願いをヤマトへ 名護 博(農学博士)
10月11日「うるま十・十平和祭り」の催しの一つ「原郷ニライカナイへ〜比嘉康雄の魂〜」の上映会と文化座談会が開催された。沖縄に古来から脈々と受け継がれてきた精神文化を堀り下げていくことというテーマに賛同し、私もさせて頂いた講演を行った。
◆ 戦争よりも祭りを 肥田浩(戦争よりも祭りを5・5の会代表)
◆うるま祭りにご協力頂いた皆様へ
第四回うるま祭り(2001)
2001年の第四回うるま祭りは、「喜納昌永芸能活動70周年・喜納昌吉芸能活動35周年記念事業 喜納昌永・喜納昌吉親子リサイタル」として、11月15日、沖縄コンベンションセンター劇場棟で開催された。当日は、喜納昌永民謡グループ、喜納昌吉&チャンプルーズを中心に、沖縄民謡協会、新城清弘・弥生流古典音楽教室、玉城流翔節会、湛水流保存会、王府おもろ伝承者・安仁屋真昭、沖縄空手古武道小林流敬信館・大城信行、大城ひろみ、うるまエイサーなど沖縄の古典・民謡・琉球舞踊・空手古武道・エイサー、各界から多彩なゲストを迎えて、沖縄の芸能史を紐解く壮大なステージが展開された。
第三回うるま祭り(1994)
前年日本を襲った米や農作物の大凶作を自然からの警告と受け止め、五穀豊饒を祈願し、大地と自然の恵みに感謝する「産業復活祭」と位置付け開催した。沖縄の祖先神であり、五穀をもたらしたアマミキヨ・シネリキヨら神々へ、明国(中国)より甘藷(さつま芋)を持ち帰り大飢饉から人々を救った野國総官、その芋の栽培法を広め、サトウキビの栽培精糖技術を伝播した儀間真常、治水工事を行い農業の復興に貢献した具志頭親方(祭温)ら歴代の沖縄の偉人への感謝の意を表明し、世持神社(那覇市・奥武山公園内)で祈りの儀式を執り行った。
第二回うるま祭り(1987)
沖縄海邦国体が開催され、天皇来沖・日の丸掲揚問題などで沖縄が揺れに揺れた年、九日間にわたって沖縄の文化を基軸にさまざまな催しを行った。天皇を沖縄に招き単一民族国家の国体を受け入れることで戦後を終わらせようとする県と、それに異を唱える住民側との対立が激しさを増していた。昌吉は日本が単一民族ではないことを象徴している北海道アイヌの長老ら四二名を招いた。
最終日、今世紀最後の金環日食が観測された。九月二三日の秋分点を通る金環食は、五七四年に北海道で観測されて以来、実に1425年ぶりの出来事である。万座毛では、宮古島からの神人と沖縄の神人、そしてアイヌの長老たちが参加し、南北に別れた兄弟たちの出会いと平和の祈りの儀式を執り行った。その日、日本列島はすっぽりと雨雲に包まれ、降水確率は80パーセント。しかし儀式が始まると、いつしか太陽を覆い隠す雲は消えていた。人々が祈りを捧げると、太陽と月が重なって、神秘的な金色の日輪が頭上に輝いた。そして金環食が終わると、太陽は雲の中に消えてしまった。
第一回うるま祭り(1980)
沖縄の本土復帰から8年、たったそれだけの間に、海洋博、CTS建設許可、それらにともなう大手企業の進出、リゾートホテルの林立など、本土並を追い求め続けた結果、沖縄の自然と人々の心は荒廃し続けた。本土を真似るのではなく、沖縄の文化や精神の素晴らしさを誇りに思ってほしい、人々に再確認してもらいたいと「むらおこし、しまおこし、うるまおこし」をテーマに「うるま祭り」を開催した。
「うるま」とは琉球以前の古称で、国境を持たず、平和に自由に、自然とともに暮らしていた時代を指している。「埋没した沖縄の文化を掘り起こし、祖先の残した文化遺産をどう継承していくか」について考えるために、地域の青年会、文化人、保革両派の政治家、宗教者、一般の人々も参加し、各人の立場で先祖の残した文化遺産について語りあうシンポジウム、県産品の即売、エイサー、古典、芝居、歌、童遊び、映画など多彩な催しを行った。土着の文化や工芸の素晴らしさを再認識しながら、CTSの建設是非についても積極的に討論が行われた。昌吉の手探りのはじめての祭りは、大きな成果として沖縄に種を落とした。以降、このうるま祭りは七年ごとに開催されている。
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