 |
白船〜White Ship of Peace〜
ペリーの黒船がもたらした文明開化のお返しに、平和を象徴する白船によってアメリカに平和開花を迫ろうと、「白船〜White Ship of Peace〜」を1998年に実施。
1854年鎖国下の日本を訪れたペリー率いる黒船は、大砲を撃ち開国を迫った。鎖国を解いた日本は、明治維新、大政奉還、廃藩置県と現代物質文明を享受した。しかし脅しで始まった日米関係は対等にはならず、敗戦後は同盟国の名のもとに安全保障を結び、軍事的にアメリカに従属している。軍事的主従関係を制度化したものを安保と呼ぶならば、それこそが黒船から始まる呪縛の象徴である。 その延長線上にあるのが沖縄の米軍基地だ。昌吉は白船の直接的原因を特措法改正だと言う。基地を撤廃し平和を創りあげるために、アメリカと世界中の良心に火をつけようと、沖縄と日本から平和への想いを満載した白船をアメリカへと向けて出発させた。 |
白船進水式
東京進水式には、同時通訳の神さまと呼ばれた元参議院議員の國弘政雄、元赤軍派議長の塩見孝也、一水会の顧問の鈴木邦男、黒船が日本人に残したトラウマを心理学者の立場から唱える岸田秀、司会に辛淑玉という面々が「すべての武器を楽器に」というテーマの元に参加した。 左右民族哲学を超えて平和について語りあった画期的なイベント。
セイクレッド・ラン
白船でアメリカに対してものを言う前に、まずは自らの足元、日本の抱えている問題を問い直そうと、日本列島縦断のセイクレッド・ランを行った。 北は北海道から、南は日本の最西端の島・与那国からスタートし、海上ヘリポート基地建設で揺れる辺野古、干潟の埋め立てで燃える諌早、水俣病の水俣、被爆地の長崎・広島などを、日本中の問題意識をひとつに束ねたい、繋がっていきたいという想いで、鎌倉まで走り繋いだ。
今回のランの重要なポイントは、ラン本来のスタイルをベースに、沖縄のエイサーや各地の文化の交流を最重要として取り入れたところにあった。 南北の合流地点鎌倉では、セイクレッド・ランの提唱者デニス・バンクスら先住民たちが出迎え、昌吉や、一歩一歩大地を踏みしめながら日本列島を祈りとともに走り繋いだランナーたちを囲み、日本中から預かった平和への思いを白船へと託す盛大なセレモニーを行った。
すべての暴力を超えて白船の出航記念に開催されたシンポジウム。 「すべての暴力を超えて」というテーマのもとに、シカゴエイトのデイブ・デリンジャー、AIMの代表者デニス・バンクス、アイヌの石井ポンペ、元赤軍派議長塩見孝也、沖縄の知花昌一氏らを迎えて開催した。 平和運動家と、かつて運動の方法に武力を用いた人々が、暴力ではなにも解決しないことを強く語り、暴力を超えたところにこそ平和を築きあげることが出来ると語りあった。
白船アメリカ大陸横断キャラバン
黒船がもたらした「文明開化」のお返しに、アメリカに「平和開花」をもたらそうと、アメリカ大陸を横断し、インディアン居留区、国連本部、インディアンの独立国イロコイ連邦などで、「歌・踊り・儀式・祈り・瞑想」の「精神の五要素」を基におく「祭り」を開催した。「白船」のメインテーマ「すべての武器を楽器に」を胸に刻み込んだキャラバン隊は、沖縄、日本、アメリカから総勢160名にも及んだ。人々から預かった平和への思いを、約1000年前にすべての武器を放棄し、直接民主主義を生み出したイロコイ連邦へと届けるために訪れた。 スタート地は市民運動の発祥の地サンフランシスコ・バークレー大学。3週間に渡る歴史のヒーリングのキャラバンは、奇しくも黒船がアメリカを出航した11月24日に幕を開けた。 聖地アルカトラズ島では全米から結集した約3000人ものインディアンを率いる役割を持たされ、昌吉は先頭に立ち人々を導いた。 インディアン最後の虐殺地ウーンデッドニーでは、オグララ・ラコタ族の族長たちとともに平和を誓いあった。 国連でもセレモニーを開催し、アナン事務総長のフロアーにて「すべての武器を楽器に」替える署名と平和のメッセージの授与式も行った。
最終目的地イロコイ連邦の一万年以上に渡り聖なる教えを語り継いできた叡智溢れる人々と、平和を願う人々との感動の出会いの祭りによって白船は幕を閉じた。 |
|
|うるま祭り|ニライカナイ祭り|イラクピースアクション|花の祭り|
|サバニ・ピース・コネクション|白船〜White Ship of Peace〜|そのほかの祭り| |