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サバニ・ピース・コネクション(1997)
普天間基地の返還にともない、海上ヘリポート基地建設予定地とされた名護市辺野古区の反対派住民を支援し、海上ヘリ問題は名護だけの問題ではなく、沖縄全体、日本全体の問題であることを提議するために、昌吉や有志のメンバーは「少女の涙の勇気、そこにたくさんの人が気持ちを動かされた。 その灯を消してはいけない」という気持ちをもって、三回目のサバニ・ピース・コネクションを漕ぎだした。サバニは60、70年代CTS反対闘争に燃えた金武湾、屋慶名からスタートし、本島を一周した後、辺野古へとゴールした。 漕ぎ手たちを出迎えて、辺野古の町を活性化させるために「龍神祭」が開催された。サバニを終え、TV朝日系「ニュースステーション」のインタビューで喜納昌吉はこう答えている。
「サバニが基地をなくすことの解決法にならないことは承知です。しかし平和を願う気持ちを、ひとりでも多くの人の気持ちを集めること、それがいつか大きな力になると信じています」 |
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サバニ・ピース・コネクション(1996)
1996年、沖縄は基地問題に揺れた。 95年に起こった米兵による少女暴行事件は、沖縄の平和と基地撤廃を求める良心に火をつけた。 その後、県民投票、代理署名拒否、公告縦覧などで、世界中の良識ある人の目は沖縄に注がれた。しかし燃えあがった沖縄の心と、人権問題であったはずの少女の問題は、50億円という金と経済問題にいつのまにかすり替えられてしまった。 危機感を感じた昌吉は、沖縄と日本中にもう一度原点に立ち戻ろうとサバニを漕ぎ出し、平和のメッセージを募りながら、沖縄本島を一周した。集められたメッセージは国連へと届けられた。 |
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黒潮祈りの巡礼・サバニ・ピース・コネクション(1995)
1995年、終戦・被爆50年に平和を祈念して、サバニ(丸木船)を漕ぎだし、日本最西端の島・与那国から、25の島々に寄港し、64通の平和のメッセージを広島・長崎に届けた。 この三都市を平和的にリンクさせたいという昌吉の強い想いに賛同し、海の経験の全くない全国の有志が集まり巡礼の旅がはじまった。
荒波を乗り越え、全身全霊で島に漕ぎ着き、迎えてくれた人々の屈託のない笑顔を見たときに、漕ぎ手たちは「平和とは人が創りあげるものではない。平和はそこにあるものだ」と感じたという。 迎え入れてくれる人々の笑顔に触れ、漕ぎ手たちは何よりもまずエイサーを踊った。島人たちはその島に伝わる芸能で出迎えてくれた。そこには、言葉を越えた心の交流があった。沖縄は、武器を持たず、奴隷を買わず、また売らなかったという歴史を持つ民族である。その沖縄の人々の心にある平和が、全世界の人々の心と触れあえたら……。 5月19日与那国島を出航した小さなサバニは、たくさんの平和の想いを小さなサバニに載せて持ち運んだ勇士たちとともに、8月6日広島、そして8月9日長崎へと到達した。 |
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