その他の祭り
弥勒世果報祭り(1988)

弥勒世果報祭り(1988)

父・喜納昌永のリサイタル「喜納昌永弥勒世果報祭り」を那覇市、沖縄市、名護市、石垣市、与那国島で開催。声帯を痛め声が出なくなり一四年間歌手生活を断念していた昌永の記念すべき復帰公演。
歌手として第一線で活躍していた昌永が、声帯を患い突然声が出なくなった。
昌吉はもう一度歌ってほしいと治療法を探し続けた。全盛期の喜納昌永の歌声は神に与えられたもののように美しく、その三線の音色はまさに神技のようであった。
しかし、その父が神の島・久高島ではまだ一度も歌ったことがないということに昌吉は気がついた。
神に捧げる歌から始まった民謡は、沖縄ではただの歌ではなく神々に奉納するものである。昌吉は両親とともに久高島に通い、御嶽(聖地)をまわり祈り続けた。
ある日、いつものように島を歩いていると、ニライカナイから神々が来訪するといわれるイシキ浜に大黒様が持っているような大きな杖が打ちあげられていた。そして、龍宮の神をまつる西の浜に降り立つと、5キロはあるかという大きなクブシミが打ちあげられた。その直後不思議としかいいようがないが、話すことさえ困難だった昌永の喉に声が戻ってきた。
その後、手術と治療を経て、少しずつ日常の会話ができるようになった頃、昌吉は父の弟子たちを集めて弥勒世果報祭りと題して喜納昌永リサイタルを開催した。
弥勒世果報とは、はるか東方の彼方からもたらされる五穀豊穣の世界とされている。
神歌や古典の世界から現代の民謡まで、沖縄の壮大な歴史を表現しようと楽曲を選択すると、昌吉は「声が出なくてもいい。一緒に三線を弾いてほしい。もう一度ステージに立ってほしい」と、父を説得した。
声は出ないまま当日を迎えたが、朝会場に入ったとたん昌永の声が出た。昌永の歌への想い、辛い時代をいつもそばで支え続けた母・千代、そして昌吉の想い。
そんな家族の強い想いと行動が、昌永の病気を治癒し、奇跡を起こしたのである。その夜、昌永は「汗水節」「カチャーシー」などを歌って喝采を浴びた。不死鳥の如く喜納昌永が復活した奇跡のリサイタルは、毎回立ち見が出る大盛況で、多くの喜納昌永ファンが涙を流した。

縄文祭(1988)

縄文祭(1988)

 「いのちの祭り」もすべてが提唱者の昌吉の想い通りに行ったわけではなく、そのために昌吉は独自に「縄文祭」と銘打ち、祭りの中で思う存分表現できるもうひとつの祭りを組み立てざるを得なくなった。
 最終日、日中の催し物はすべて終わり、残りは「縄文祭」のみとなった。
高原は夕暮れを迎え、辺りは薄闇に包まれた。喜納昌吉が演奏するのを待つステージに明かりが灯りはじめた頃、低い雨雲が空を覆い、山々に雷鳴がとどろいた。空には幾筋もの稲妻が走り、土砂降りの雨が降り始めた。
30分経っても一時間経っても雨は降り止まず、一層激しくなっていく。夕方に降り始めた雨は八時頃ようやく小降りになった。時間と豪雨におされ、「花」「島小」「ハイサイおじさん」などの5曲しか歌えなかったが、昌吉の歌は集まった人々に熱狂的に迎えられ、歌と踊りによってこの祭りの幕は閉じられた。

いのちの祭り(1988)

いのちの祭り(1988)

今でも語り継がれる、80年代ニューエイジムーブメントの大きな山といえるイベント「いのちの祭り」も実は昌吉の提唱によるものである。
昌吉は八八年をとても重要な年と位置付け、70年代後半から88年8月8日に祭りを興すことを目標に、保坂展人氏や友人たちとともに早くから動いていた。
その昌吉の念願の祭りの会場が長野県八ケ岳に決定し、祭りのタイトルも「八ケ岳、いのちの祭り」に決まった。88年8月8日に八ケ岳の8も加わり五つの八の祭りになったのだ。
「NO NUKES ONE LOVE」を掲げて実行委員会が結成され「自然と生命の尊さを考える」という主題のもとに八月一日から八日間にわたって行われた。
出演者も、喜多郎、カルメン・マキ、山口富士夫、上々颱風、吉田日出子、星川淳、広瀬隆、ナナオサカキや、科学者、住民運動家から役人まで多岐にわたった。アメリカインディアン・ホピ族のトーマス・バニヤッカも参加し、ホピの予言、原爆、原発についてのメッセージを送った。チェルノブイリの原発事故以降、危機感を募らせていた人々の思いも集中し、全国から8888人(主催者発表)といわれる観客動員があった。

天孫祭(1996)

ハイサイ! アトランタ 「すべての人の心に花を・すべての武器を楽器に」をテーマに沖縄・奥武山で祭りを開催した。
那覇のメインストリート国際通りでもパレードを行い、参加団体が華やかに練り歩きエイサーを披露した。
ジュディ・オング、高石ともや、THE BOOMの宮沢和史などさまざまなアーティストが参加し、壮行会に花を添えた。
各地の伝統芸能、おもろ、琉舞、空手、アトランタオリンピックに参加するエイサー隊ら総勢700名におよぶアーティストが沖縄・琉球・うるまの時代を越え、新しい時代を創造するステージを繰り広げた。
心の底から雨を乞う、大地を揺るがすクイチャー、ヤッコ踊り。祭りが大地と人間をつないでいた時代の、神々と密接した本当の祭りがそこにはあった。
沖縄の国歌とも愛される「滝落し」では、喜納昌吉&チャンプルーズと伝統芸能を奏でる人々がひとつになった。「おもろ」「ツォーナ(路地楽)」「空手」「琉球舞踊」「琴」「大正琴」「太鼓」「三線」によって沖縄民族の先人の魂を壮大にして雄大なる滝の流れに乗せ、うるま、琉球、そして沖縄という歴史の流れが表現された。
アトランタ壮行会と銘打って開催された「天孫祭」は、観客動員数、出演者総数など沖縄芸能の記録を塗り替え、沖縄芸能の黄金期の再来と高く評価を受けた。

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