チャンプルーズ伝説

連載

喜納昌吉の平和日誌4月号

猿も木から落ちるということわざは、誰もが知っているが、猿も木から降りるという小話がある。樹上で果実を奪い合うおぞましい争いに嫌気がさした猿たちが、木から降りてぎこちなく歩き始めた姿を見て、樹上に残る猿たちは敗北者をあざ笑うかのように木の実を投げつけたという。しかし笑われた猿たちは歩き続け、悠久の時を経て元の森にたどり着き、変わらず争いを続ける自分の先祖たちの哀れな姿を嘆き悲しむという物語である。この木から降り直立歩行を成し遂げた猿が、ミトコンドリア・イブと呼ばれる最初の人間である。
軍産複合体の病に冒された文明の木にぶらさがる、東西文化や資本主義・共産主義、あらゆる宗教、etcという大小の枝になる果実を、かつての樹上の猿のように人類が今奪い合っているということを、この物語は示唆してくれる。
アメリカ大統領選の行方は混沌とし、最も友好的であったスペインは、テロによって政権交代を余儀なくされ、イラクからの撤退を表明し、イスラエルによるヤシン師の暗殺は、中東に取り返しのつかない事態を招いている。そして、中国とアメリカの覇権の中に位置する、西洋精神の希望であった欧州の屋根構想もEUとロシアの間で亀裂が生じ始めている。まさに世界はクライシスに向かい、さながら第三次世界大戦前夜の様相を漂わせている。
米英によるイラク侵攻の真の意図は、躍進する中国経済と軍事の肥大化にブレーキをかけるために、石油の供給源を絶つことにあったというのが、軍事アナリストの間では常識とされている。北朝鮮の核問題、台湾の独立問題、アフガンやフィリピン、インドネシアにおいてのテロ掃討に名を借りた米軍基地の拡大、シーレーン構想のなかでの普天間基地無条件返還や下地島空港への移設、そして新石垣空港に戦域ミサイル防衛(TMD)、米本土ミサイル防衛(NMD)の指令塔を建設するという情報は、すべて中国包囲網の一環だと言われている。
巨大油田が眠る尖閣列島への中国の活動家の不法上陸は、台湾総統選の流れを変えた銃撃の背後にアメリカの意志を感じ取った、中国のリアクションと見るのが妥当であろう。米中の覇権争いの舞台が、沖縄を中心に回転し始めてきたことに気づかねばならない。尖閣列島は決して中国や日本のものではなく、沖縄にこそ主権がある。尖閣列島の鉱業権獲得に命を懸けて奔走した大見謝恒寿氏は、油田に沖縄の発展と人類の福祉の夢を託していた。先人達の努力に報い希望を叶えるためにも、地球にたくさんの爪痕を残してきた化石燃料を奪い合う戦争の歴史に終止符を打つ方法を編み出すことだ。
限られた地球の恵みと永遠につきあうためには、今また古い文明の木から降り、地球を運営してゆくという覚醒が必要だ。チェルノブイリの事故や戦争や地球温暖化など、国境線を超えて存在している様々な問題への対処は、安全保障を含め、国家単位では解決しえない。国連を戦勝国による常任理事国だけのものにするのではなく、NGOや新しい文明に覚醒した人々と、大地を裏切らなかった先住民の知恵と共に、地球を運営する機関として改革し、武器を捨てた歴史を持つこの沖縄に誘致し、尖閣列島の石油利権を委託して、それを基盤に人類の福祉と地球の再生のために使えるならば、覇権の欲望を超越した真のグローバリズムを創造することができる。諸悪の根源である国境主義から沖縄が独立し、人類が夢見てきた天国、浄土、ユートピア、フリーダムを実現する時に来たのである。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌3月号「台頭する旧財閥軍産複合体」

戦争特需によって味を占めた軍産複合体が、意図的に操作された不況の狭間から、地方分権化に幻想を与え、国益すら犠牲にする新たなる利権集権の画策をし始めてきている。明治維新以来、戦争のたびに旧財閥の利益が飛躍的に伸び、一つの例を挙げれば、日清戦争から第1次世界大戦までの間に、三井物産の利益が一気に60倍に膨れあがっている。廃藩置県の構造を引きずる55年体制のほころびから、既得権益の崩壊を死守するために、行財政改革によって揺さぶりをかけ、道州制をも俎上にのせ、新世界秩序に乗じて国家再編を成し遂げようとする動きが活発化してきている。高率の補助金を呼び水に、借財を増やしてまで不相応なハードの事業をそそのかし、三位一体改革でそのつけに追い打ちをかけ、財政を赤字に転落させ、地方主権の牙を抜きつつある。過去にたどったおぞましい道を日本国が選ぶならば、かつての戦争で亡くなった3分の1の沖縄民族の叫びのためにも、警鐘を鳴らさねばならない。

復帰以降沖縄に投下された予算は、平成12年度までおよそ6兆4169億円に上る。インフラはある程度整備されたであろうが、公共事業費の8割、9割が本土の大手企業に吸い上げられ、受益者団体以外の弱小企業は恩恵から外されている。そのからくりを見ていくと、沖縄には他府県と違うシステムがあることに気づく。沖縄振興開発事業の元締めである、内閣府直轄の官僚組織、沖縄総合事務局の存在である。他府県では各省庁がそれぞれ独立の出先機関を設置しているが、なぜか沖縄の場合総合事務局に各省庁の業務が統括されている。沖縄の競争力の弱さを守るための機関であると説明されているが、そうであるならば沖縄の業界が予算の恩恵を授かっても良いはずだが、実体はそうなっていない。県予算の3分の1を占める国庫支出の公共事業補助金については、財布の入り口と出口がしっかり総合事務局と防衛施設庁に握られ、思うがままに予算の分配権を操れる仕組みになっている。これでは市町村を含む県はごはん代、総合事務局はおかず代、防衛施設庁が酒代を賄っていると皮肉られても仕方がない。ましてや嫌がらせに近い過剰クオリティーのハードルと、受注をちらつかすボンド詐欺の横行に加え、ヒートする反対運動と誘致派の争いにつぶされ、小遣い程度は限られた受益者団体に、うまみはすべてヒモのついた県外の業者に持って行かれるのが、県内企業の実情である。不思議なことに、少女暴行事件後の知事選時の国庫支出金は史上最大値を示しており、そこに政治的感情を抑え込むための謀略すら感じられ、大田知事は希に見る高得票を獲得しながら落選している。

悪評高き日本のODAは、沖縄への振興開発計画を雛形に作られたと言われている。日本政府は、安全保障の枠内では沖縄を日本の成員とし、権利を受けるべき政策では外国枠に位置づける、ダブルスタンダードを行使してきたように思われる。簡単に解釈すれば、いやなものは沖縄に押しつけ、おいしいものは国の名の下に特定のエスタブリッシュメントが享受しているということだ。復帰当時の鉱業権簒奪の問題など、島津侵攻以降今日まで本質は何も変わってないことが分かる。決して沖縄は植民地ではない、395年も呪縛されてきた傀儡文化の内地・外地というトラウマを消す時に来たのである。

アイヌの長老から話しを聞いたことがある。かつてアイヌ勘定があって、取引をするときに倭人は一つの前に「はじめ」をつけ、途中で「休み」を足し、最後の数字の後に「おしまい」を加え、3つも余計にとり、現在で言えば沖振法にあたる旧土人法によって、土地さえも全部奪われてきたという。今年は申年である。見ざる、聞かざる、言わざるという格言があるが、沖縄は猿になってはいけない。今こそ、言論の自由よりも言論の力が必要とされている。取るべきものを取り、返すべきは返すと、毅然とした態度を示し、地球と人類をステージにした、独立も視野に入れた自立の思想を打ち立てることだ。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌2月号「和合の象徴としての日の丸」

国旗としての日の丸の歴史は、船舶の国籍を示す旗を定めた明治3年の太政官布告に始まると一般にいわれているが、ある長老から聞いた話では、日本は国際連盟に加入するにあたって国旗に菊の御紋を申請したが、一家系の紋を国旗にするのはよくないとフランス・ドイツから反対され、それを断念し公募したところ、鹿児島出身の北海道開発青年隊が出した日の丸が採用されたという。その日の丸は島津が船に掲げていたもので、元は沖縄の航海安全の三角旗からとったものであると誇らしげに語っていた。白地に赤くの赤は戦争に流された血なのか、すべての生命の恵みを育む太陽なのか。異常寒波のなか旧正月に天皇が来た時にテレビに映る振られた日の丸を、県民はどういう思いで見たのだろうか。

今からちょうど100年前、日本は日露戦争に突入し、1937年日華事変の南京陥落の時にはちょうちん行列で勝利を祝ったという。イラク派兵の既成事実化が、過去の栄光を夢見る人たちの野心によって使われ、戦争改憲論へともっていかれないためにも天皇制が二度と戦争の道具にならないように監視しなければならない。

かつて西銘元知事が「沖縄の心とは、ヤマトンチュになりたくて、なりきれない心だろう」という言葉を使った。そして、中曽根元首相は日本単一民族論を展開した。この二つは日本と沖縄のアイデンディティーの矛盾をよく表している。宝来聰氏著の「DNA人類進化学」は日本人のアイデンティティーを探求する上で非常に示唆に富む。この研究は日本人、琉球人、アイヌ人と韓国人や中国人(大陸系台湾人)のミトコンドリアDNA塩基配列の分析を通じて、現在の日本人がどのようにして形成されたかを考察したものである。それによると、日本人以外の4民族では、それぞれ各民族特有のDNAの型が多くを占めるのに対し、日本人の場合は中国人特有の型が占める割合が25.8%と一番多く、韓国型が24.2%、琉球型が16.1%、アイヌ型が8.1%と続き、日本人特有の型が占める割合はわずか4.8%という。この結果をみると日本人はDNAの量から言えば中国に傾き、質から言えば定義は曖昧で、さまざまな民族が交じり合った形体であると分析されている。しいて定義するならば日本人のアイデンティティーとは時の政権の表現形であり、それからすると西銘氏の悩みは自らのDNAに目覚めることで、中曽根氏の強引さはDNAの共生に気づくことで双方の問題が解ける。

聖徳太子は「和を以て尊しと為」と言い、「大和」とは大いなる和と書く。これはひとつのDNAをもっては治められない故の、力の支配をはるかに超えた和合という日本精神の奥深いところからのメッセージであろう。今までの天皇制は力で抑えるか、自ら進んでまつろう者に有利に働く利権のシステムを巧妙に作ってきた。まつろわぬ民であるアイヌ、朝鮮、沖縄民族は常に利権の蚊帳の外にあったことは歴史が示すとおりである。世界では、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教に代表される他の考えに譲らない原理主義の暴力によって不幸がもたらされている。アイヌの教えに「チャランケ」という言葉がある。これは理解しあうまで徹底して議論することを意味する。日本はこのタフさを学ばなければならない。現代文明に欠けているのがこのタフさである。5500年かかっても和合できないメソポタミアをルーツとする文明の軋轢を鎮めるためには、皇紀2664年に捉われず18000年ともいわれる縄文の神話を掘り下げ、自然の力に根ざしたまつろわぬ魂を招くことである。言論の自由とは決して法律の問題ではなく知性の熟度にかかり、封印された言論のブラックボックスを開けることによって全球化の流れに適応する精神が開かれる。天皇制を論ずるものを暴力で抑えるならば、それは天皇原理主義に陥ることに気づかねばならない。憲法1条は憲法9条を守り、戦争ではなく平和の象徴となったときのみこそ世界から祝福を受ける。

矛盾とはどんな盾も貫く矛と、どんな矛も通さない盾をいう。それは解決するものではなく越えるものである。われわれは戦うからこそ矛盾につかまり、戦わなければ矛盾は存在しえない。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌1月号「平和憲法に潜むトラウマ」
ギリシャ語で傷を意味するトラウマという言葉の語源はサンスクリット語にあり、出産時に胎児が膣圧で受ける最初のショックを表し、現在よく使われる心的外傷とは少しニュアンスが違う。古代インドのバラモン教の根本聖典「ヴェーダ」の宗教観のなかでは、前世と現世のバランスを取るための概念であり、傷はつくが決してネガティブではなく、進化のためのジャンプ台と捉えることができる。日本民族の精神のトラウマは、ペリーの砲艦外交による文明開化のショックによって始まった。幾多の戦争を積み重ねた末、第2次世界大戦で敗北し、GHQと米国務省の双頭体制によって占領政策が行われ、日本の憲法学者を巻き込み陣痛を繰り返しながら日本国憲法が制定された。国連憲章に基づいて人類の規範となる憲法を創ろうと試みたマッカーサーの自然法的理想主義と、ドミノ理論へとつながるアメリカの国際戦略を背景にした、のちの国務長官ダレスの実定法的現実主義との葛藤のもつれが顕著に現れている憲法98条には、サンフランシスコ講和条約を結ぶ前提条件として国際条約の遵守が巧妙に織り込まれている。これにより日本の憲法は合衆国憲法と肩を並べるどころか、その下にある日米安保条約のさらに下に位置付けられてしまった。

30年前の長沼ナイキ訴訟では、高度な政治的判断を要するものは統治行為であり司法にはなじまないとし、その権利を破棄し司法の限界を認め、三権分立を放棄し、自衛隊の存在を行政判断に委ね、憲法で謳われている民主主義さえも否定してしまう。さらに先般の知花昌一氏らの改定米軍用地特措法違憲訴訟では、最高裁は強制使用の公共性の判断を放棄し首相に委ね、安保条約上の義務の履行は憲法で保障される私有財産権より優先するとされた。まさに実態は憲法植民地であり、自衛隊はアメリカの傭兵にならざるをえないことを運命付けられている。半世紀以上経ってもマッカーサーとダレスのトラウマは拭い去れず、憲法を拡大解釈してまでイラクへ自衛隊を派遣せざるを得なくなった小泉首相の判断のぶれはそこに起因する。国体に関わる1条に関しては、憲法学者の過敏なまでの配慮が伺えるが、沖縄に関しては一顧の体もない。復帰により沖縄も平和憲法の恩恵を受けるが、日米地位協定がこのままの状態では沖縄にとっては地獄であることに、改憲論者は論外としても護憲論者は気付いているだろうか。われわれは「護憲」や「改憲」という視点を超え、まず憲法を独立の次元から捉えなければならない。「論憲」、「創憲」を唱える民主党がこの問題に真剣に取り組む姿勢があるならば、それは解決の鍵を握るヴィジョンになりうるだろう。「論憲」で大日本帝国憲法の歴史と日本国憲法の制定から拡大解釈へと至った過程を総括し、「創憲」で憲法9条を基本にしたより平和的な世界へ高め、日米安保条約を対等な平和友好条約へと切り替えることによって憲法の独立が果たせる。

イラク派兵の動機が「テロを恐れない、屈しない」というのならば、「アメリカの強権にも恐れない、屈しない」という一貫性を持つことが真実に裏づけられた大義と人道支援を可能にさせる。まさに日本国憲法前文こそは、グローバルな人類精神が最も必要とする命題であって、一国の利権に偏った政治的判断は人類の未来に影を落とす。決して日本国憲法はマッカーサーやダレスだけによって創られたものではなく、そこからはイロコイ連邦のネイティブの教えに基づいたアメリカの良心も見てとれる。その一条の光明をさらに研磨し、日本国憲法をトラウマから解放し珠玉の教えとして、略奪と殺戮によってつくられてきた古代文明の価値観に呪縛された戦争という野蛮性から、あらゆる生命の慈悲に目覚めた人間性へと進化させ、文明の毒素を取り除いていく概念革命を起こし、生命に満ち溢れた輝く地球文明の建設に向けることだ。

喜納昌吉
喜納昌吉の平和日誌12月号「子供の夢と人類の理想」

北京や上海を幾度か旅をして雨後の筍のように次々に建設されるビル群を見ると、その躍進ぶりは驚嘆を超えて脅威にすら思えてくる。中国の経済開放政策を後押しするように、北京オリンピックと上海万博が決定し、世界がそのまま進んでいけば中国の未来は非常に明るく、21世紀の中心的な役割を担うことは確実であろう。しかし世界は楽観的ではなく不安定な状況に放り込まれつつある。アメリカの一極集中は綻び始め、その傲慢な人類の道標ロードマップは崩壊し、ジュネーブ協約にとってかわられようとしているが、先は見えてこない。

イラク戦争直後、仏独と米英の亀裂の狭間から生まれてきたEU外相やEU連合軍の台頭は、EUが経済だけでなく外交的にも軍事的にも結ばれ、あたかもヨーロッパ合衆国の様相を呈してきている。そして、今年インドのバジパイ首相は長年の懸案事項であったチベットを、中国の領土であると明言した。アジアは問題を孕みながらも近づき始め、新世紀の盟主たらんとする攻防は、人類史の未来に混沌とした波紋を投げつつある。不幸にも日本はその流れから大きく立ち遅れ大東亜戦争の呪縛からも、GHQによってつくられた体制からも、いまだ抜け出せずにもがき続けている。

くしくも、今月から来年にかけてインドと中国でコンサートを行う。日印国交回復50周年の最終行事のメインにインド政府に招聘され、また来年は日中平和友好条約締結25周年の記念行事の最後を飾るとりとして、中国人民対外友好協会から招請をありがたく受けた。何よりも私を喜ばせたのは、清の時代に琉球王朝から中国皇帝へと献上された漆器や紅型など宝物をこの機会に特別に公開してくださるということだ。また、私が敬愛する謝名親方が学んだ当時の最高学府・国子監を訪ねることも楽しみだ。

インドへの訪問にも大きなプレゼントが待っている。昨年、壊れた武器を提供してくださったフェルナンデス国防大臣が、今度は象を贈呈すると約束してくれた。それは「子供の国の象が死んでしまって悲しい。昌吉さんはインドの偉い人と友達なんだから、きっと象をもらえるはず。」というひとりの子供の夢から実現した。しかし、事はすんなり進まないのも現実である。経済産業省の役人が、象の輸入許可はおろせないとすごい剣幕で乗り込んできたという。

理由を聞くと、動物・自然保護団体からの反対運動が激しいということだ。しかし気候が温和な沖縄においては国内で唯一インド象の繁殖に成功する可能性が高いと言われており、輸入に頼らざるを得ない現状が改善され、かえって野生象の保護につながると関係者の期待は大きいとも聞く。それにしても、まだ申請も出さないうちに不許可をつげに乗り込んでくるこの役人らしからぬ手回しの良さは何だろう。自然保護に名を借りた利権保護ではないかと勘ぐりたくなるほど不自然だ。それほどまで環境問題にこだわるならば、まず泡瀬干潟や辺野古の海上基地反対の声にこそ答えていいはずだ。

今回の問題は世界観の熟度の相違にある。地域の活性化は県益に繋がる。県益を考えると国益に、国益を考えると人類益へとたどり着く。まず地球が健康であることがその条件である。文明によって疲弊したこの地球を憂えれば、再生という道の選択しかありえない。暴走する文明に歯止めをかけるためには子供の夢と人類の理想との整合性、そして“共に生きる"というバランス感覚が必要だ。400メートルを超えるビルは1年で建つが、木が40メートルに成長するには100年を要する。このスピードのアンバランスを修復し、文明時計の針と自然時計の針が永遠の時を刻んだときにこそ、人類の未来は花開く。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌11月号「チャンプルー文化の源流コザ」

コザと呼ばれた街が沖縄市に改名され、来年で30年を迎える。沖縄ブームと呼ばれる現象を考えた時、コザは特異な光を放つ街であった。テレビ番組「アンタッチャブル」の世界さながらにBC通り、ゲート通り、コザの黒人街は、ギャンブル、セックス、ドラッグ、ストリップというデカダンスカルチャーとともに、ロックとジャズが花盛りであった。それを包むように不夜城と呼ばれた中之町や遊郭のあった吉原で沖縄の人たちは独自の歓楽街文化を謳歌し、アメリカ文化とコザ文化は棲み分けをしながら融合し、ロックとジャズ、沖縄音楽はお互いの顔を窺いながら接近していった。やがてベトナム戦争の特需が消えかける頃、厭世観から兵役拒否がおこり、黒人の差別運動に火がつき始め、白人街のゲート通り、将校クラブ街のBCの牙城は崩され、黒人暴動に発展していった。コザ暴動は正にそのような背景を背負い、沖縄のカオスを噴き出させたのである。暴力の連鎖はやくざ戦争にも拍車をかけ、復帰を目前にして皮肉にもコザの名をバイオレンスの街として日本中に知らしめることになった。

ちょうどその時期にチャンプルーズは台頭する。復帰後の「大和世」への世変わりへの不安と「アメリカ世」のすさんだ社会不安が錯綜する狭間でスパークし、ハイサイおじさんを原点にしたオリジナルから、沖縄音楽とアメリカ音楽を吸収し、融合の結晶として開花する。しかし、そのスタイルは民謡界からもロック界からも受け入れられず、べ平連の平和の魂や屋慶名のCTS運動に代表されるエコロジー意識などの開かれた精神に触れながら、西洋と東洋にキャパを広げることによってワールド・ミュージックに影響を与えていくことになる。今でこそ誰しもが、かっこよく三味線を掲げて歩ける時代になったが、その本格的源流はそこにあり、「民謡を夜の商売の道具に使い、品を落とした輩」と当時批判された言葉が、今では笑い話にも聞こえる。

チャンプルーズは現在、那覇の国際通りの真ん中に「ライブハウスチャクラ」を構え、今年で10周年を迎える。コザで誰も相手にしなかった「花」を聞きに、世界各地からたくさんの人が集まるようになった。当時、国際通りは人々が地域で買えないものを求めるために、最後に行く奥の院であった。復帰後、様相は一変しスーパーやコンビニエンスストアー、通信販売など人々の買い物形態が変わり、国際通りは古い役割を終え、時代の流れを敏感に察知し、国際都市の玄関口として見事に変化を遂げつつある。

過去の輝きを求めてコザを散歩する時、一抹の寂しさを感じるのは私だけであろうか。センター通りはパークアベニューと名前を変えたが、シャッター通りと嘆かれ、中之町は閑古鳥が鳴いている。活性化を銘打ってコリンザを立ち上げたが、成果はいまひとつ芳しくない。文化行政、観光行政に携わる顔が同じであることが今日の姿の原因であり、時の流れを止めているのであろう。名前を変え厚化粧を施しても中身を変えることをせずに、どうして輝きを取り戻すことが出来るであろうか。そもそも基地に依存した街々はすべて枯れはてている、それは宿主を失ったパラサイトの末路を思わせる。沖縄市は学ばなければならない、「沖縄市」の仮面から首都コンプレックスを取り除くことを、コザという幻想には戻れないことを。そして素朴で純粋な輝きを放つエイサーの魂に、ダイナミックな栄養を与え、デカダンスとバイオレンスの街から文化と平和の街にイメージを変えることをだ。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌10月号「うるま十・十(トートゥ・トートゥ)平和祭り」

那覇空港から降り立った時、いつも心の中に歴史的問いが持ち上がってくる。左は米軍基地の金網、右は自衛隊基地の金網、平和を謳歌する守礼の邦にはおよそ似合わない風景に、島津侵攻以前の先祖が目を覚ましたら涙を流すであろうという思いからだ。守礼の門が2000円札となったが、国際都市を宣言する沖縄の玄関口にこそ人類殺しの武器よりも「守礼門」を置いた方がふさわしいと、先祖は言うであろう。自衛官爆死、これもまた平和の邦には似つかわしくない事件だ。世界にテロが頻発するさなかに起こったこの事態は米軍払い下げ品の捜査で終わるほど単純なものではないという自覚をもってあたらねばならない。1995年の米軍人の少女暴行事件に怒りの声を上げた沖縄民族の世論に正当性があるならば、なぜ自衛隊の不祥事に対しても同様の声が上がらないのか、96年に北部で起きた拉致殺害事件を思いおこしてしまう。あの時も、犯人がアジア系米兵であるといとも簡単に予測し反米感情をあらわにしたが、犯人が元自衛官と噂が流れた途端トーンダウンしたことに平和運動の歴史の根切れを感じるのは私だけであろうか。有事法制によって自衛隊が軍隊並みに肥大化した今日、その暴走を防ぐためにも、県民感情からも民族感情からも米兵と同等の世論の洗礼をうけるべき時がきたのである。

かつてある哲学者がアインシュタインに第3次世界大戦はありますかと質問した。しばし黙った後静かに第4次世界大戦はないだろうと答えたという。この話は、次の世界大戦が起これば人類は滅亡することを示唆している。もし大戦をおこすカルマがあるなら、それは先の大戦を受けた沖縄と日本の中に眠っているはずだ。古代から続いてきた地上戦は沖縄で終わり、大量殺戮兵器に象徴されるハイテク未来戦争は広島・長崎で始まった。この2つを結ぶためには先祖の魂と、根を失った反戦意識とを戦死者の御霊で結び、怨念や無念を平和の心に変え、新しい運動の流れをおこすことだ。広島・長崎には終戦記念日と平和祈念式典の日がある。私たち沖縄には6月23日という終戦記念日はあるが、平和祈念式典の日がない。凄惨を極めた沖縄戦の端緒となった那覇10・10空襲の日に「うるま祭り」を行い、沖縄に平和祈念式典をおこして広島・長崎の悲劇と連帯し、世界を和合させるための「祈りの日」としたい。

アメリカのホピ族の予言では聖地に眠る鉱物は母なる地球の内臓であり掘り起こせば人類に災いを及ぼすと記されていた。オッペンハイマーによるマンハッタン計画に使われたウランはホピの聖地から採られたことを知り、私たちは1995年沖縄・広島・長崎をリンクする「サバニ・ピース・コネクション」と、98年広島・長崎とホピを繋ぐ「白船」を敢行した。今回の祭りにはホピのメッセンジャーをはじめ、アイヌ、奄美、在日を含む朝鮮・韓国、インド総領事、中国の友人たちなど様々な魂が集い世界の平和を語り合う。空には占星術で言われる軍神マルス(火星)がいつになく強く輝いている。人類は確かに地球を破壊して余りある兵器を持ってしまった。戦争の神が爆発するのが早いか平和の神が炸裂するのが早いか、大いなるセレブレーションにかけてみようではないか、板門店を平和の扉に変えるために。

喜納昌吉

喜納昌吉の平和日誌9月号「新世紀の沖縄の潮流を求めて」
アフガニスタン、イラクと続く報復とテロの連鎖は、北朝鮮に飛び火し東北アジア全体を巻き込む事態になりつつある。膨大な米軍基地を抱えさせられた沖縄にとっては対岸の火事ではなくなってきた。実際、ノドンミサイルが沖縄に向け配備されているという情報があるが、仮に核搭載の技術が完成していないにしても、生物・化学兵器の搭載は十分可能であるという。それが事実であるなら、そのような事態に対処すべき平和運動やマスコミの報道姿勢のこの静かさは何だろうか。もし、公告縦覧代行に追い込まれ、そして軍用地特措法改悪を強行された屈辱が原因でチルダイ現象がおきているならば、これを吹き飛ばすような新しい息吹をおこさなければならない。その折り、アジア太平洋での約15カ国の政治家・学者・市民が集い朝鮮半島での新たな戦争を止め、朝鮮半島と沖縄を結ぶ平和と共生の創造を話し合う「第5回アジア・太平洋の平和・軍縮・共生のための国際会議(PDSAP)」が11月14日~17日、沖縄で開催される。これが新しい運動の受け皿をつくるきっかけとなることを、大いに期待したい。

私たち沖縄は第2次世界大戦の塗炭の苦しみの中から平和憲法の国を目指して祖国復帰を成し遂げたが、小泉政権は戦争法案といわれる、有事法制・イラク新法を立て続けに制定し、とうとう改憲論まで打ち出す始末である。もし憲法9条が空洞化されるならば復帰運動は根本的に洗い直さなければいけない、なぜならば沖縄は憲法1条にではなく憲法9条に復帰したからだ。そもそも日本の安全保障は沖縄の危険負担の上に成り立っており、その見返りとして雨あられの経済保証が懐柔政策に使われているならば、日米安保ではなく日米担保と揶揄されるのも真理をついている。癒しの島、心温かき、うちなーんちゅという、今日の観光ブームがチルダイ現象の別の姿であり、真実から目をそらさせるために意図的に利用されているならば、それに一役買っている芸能芸術全般について歴史から問い直し、そこに流される予算の使われ方の実態を解明して健全化を図ることだ。

戦争により疲弊した地球を思うとき、戦争にはいかなる勝利者もなく人類の敗北だとの思いを胸に、2月15日、私達は世界中で平和のために立ち上がった人たちの魂と共に、イラクの首都バグダッドに立っていた。この日、立ち上がった平和を求める声は1000万人を越え、大きなうねりとなり、日本そして沖縄でもワールドピースナウとして島ぐるみ運動を思わせるような盛り上がりを見せた。

文化と政治が平和によってリンクされたムーブメントが早急に必要とされる中、8月5日対話によって紛争を解決するパシフィスト(平和主義者)に広島に招かれる。翌日は広島市長の平和宣言のための懇話会の一員として平和祈念式典への参加、これを皮切りに問題意識の魂のレインボーネットワークを架けるピースツアーを敢行した。富士山では浜岡原発停止を求める人たち、高知では人権フェスティバル、浜松では芸能からアプローチする平和百人委員会に招かれ、鹿児島では除福伝説を守り、空海の教えを中心とする神仏和合の鎮国寺の平和祈念祭りに参加した。

そして解放と敗戦に呪われた8月15日を供養するために、その一連のツアーの思いは韓国へと続くはずだったが、南北を結ぶ鉄道京義線の38度線上に位置するドラサン駅で行われる「ドラサン駅ピースコンサート」を行う予定が、大東亜戦争のつけで、日本語による歌唱の禁止という壁に阻まれた。日本人という烙印を押され、誇りある沖縄という自らの言語まで否定され、英語のみで歌うことを要求された私は、見えない心の中の38度線を越えることが平和への道だというメッセージを送り、参加を断念せざるを得なかった。その後韓国の主催者は理解を示し、今後課題として、共に取り組んでゆくことを約束してくれた。

今年は、袋中上人来琉400年、奄美復帰50年、ペリー来襲150年、このような歴史のシンクロニシティーにどういう形で答えるか、沖縄の歴史力と知性が試されている。それは我々が日本人という枠に押し込められた「大和」と「琉球」のねじれを総括、克服できるかにかかっている。そのためには、島津侵略以降の歴史を再検討する必要がある。私達は過去には戻れないが、経験という付加価値をつけて、過去を取り戻すことはできる。平和運動は、決して生きている者同士だけでは作れない。そこには死者の魂をも汲み上げる文化的センスが必要だ。10.10空襲の日に、戦争で亡くなった魂とともに「うるま祭り」を興し、そこから問い直していきたい。

喜納昌吉
絶対の共生・地球こそが人類の聖地である(2001/10/5 琉球新報)
沖縄では9月の頭から何かを悲しむかのごとく異常なほどに雨が降り続いた。その雨の中、アメリカでの同時多発テロが起こり世界に激震が走った。繰り返されるテロと報復の宴は、ヨハネの黙示録の成就のために起こされているようにも感じる。日本は憲法改正や有事法制の成立を推し進めようとしているが、小泉総理は日本の役割に気づくべきだ。沖縄と日本には、世界の平和を築くためのバランサーとしての重要な役割がある。
人類は、その進化のエネルギーを戦争に使うか、平和に使うかという究極の岐路に立たされている。戦争には勝利者はなく、人類の敗北であることを、母なる大地この地球の疲弊した姿に見出し、まったく新しい道を創造するときが来たのだ。
沖縄に今必要なのは、依存から脱却する勇気であり、経済も政治も文化も精神も自立しなければならない。そしてタブーとされてきた「独立」も含めて思案する時期が来ている。独立とは新しく国をつくることではなく、まずは"独"りで"立"ち、沖縄本来の力を見直して視野を広げ、グローバリズムの限界を見抜き、地球の愛にこたえるための国境主義からの独立を宣言することである。
宗教の軋轢の中から生まれ発展した文明は、実体の見えない電子マネーに依存したバブル経済を生みだし、地球を疲弊させ、戦争を超えられない意識の蓋を人類精神に被せた。このまま文明が突き進めば温暖化で灼熱の星と化して生命が住めなくなると語る学者もいる。
中東で起こっている宗教戦争とは、唯一神ヤーフェの後継者の権利争いに過ぎない。ユダヤ教のタルムード、キリスト教の新約聖書、イスラム教のコーランは、旧約聖書を基におき分派した問題であり、モーゼ、キリスト、モハメットは、アブラハムを長とする互いに自分が絶対だと主張してやまない親族分裂の争いでもある。"絶対は絶対にない"そのことだけが宇宙の本質の絶対性であることに気づかなければならない。分裂の種となる宗教の絶対主義を和合させるためには"絶対の共生"が必要だ。和合の精神を持ち続ける沖縄にはすべての武器を捨てた歴史があり、アメリカ建国秘史を握る先住民のイロコイ連邦にもその精神が生きている。沖縄と世界の先住民が持つ、神から生まれ神に還るという生命の循環哲学は、神が共通の財産であり人類はひとつ地球はひとつであることを物語る。この視点に立ち戻り西洋にアプローチすれば、2000年の文明のもつれを解きほぐし、西洋文明に覚醒を促し、新しい文明観を与えることが出来る。
世界のもつれをエルサレムが背負うには荷が重すぎる。人類に射し込む光とは「地球こそが人類の聖地である」という真実である。そのアイデンティティに目覚め、希望を持って絶対の共生の道を指し示せば、人類の平和も夢ではない。小さい沖縄だからこそ、大きな希望に愛されているのだ。暗雲立ちこめる世界だからこそ、沖縄が光を投げかける瞬間がもうすぐそこに来ている。
黒船の文明開化から白船の平和開花へ(2001/1/1 沖縄タイムス)

黒船が日本 に現れたとき、驚きと同時に一目見ようと黒山の人だかりができたという、新ガイドラインが叫ばれるさなか1997年に現代の黒船・米空母インディペンデンスが民間港として初めて小樽に寄港したときには、三十六万人もの見物客が集まった。恐怖と好奇心によって開かれた文明開化のショックはいまだに日本精神を呪縛しつづけ、日本人はそのアイデンティティーを何ら進化させることができずにいる。

明治維新に始まる近代国家日本のアイデンティティーをどう問うかをテーマに一九九八年、私たちは約160人で平和開花を掲げた白船を出し、サンフランシスコからニューヨーク国連本部、同州のネイティブの独立国イロコイ連邦まで北米大陸九千キロをバスで横断した。

市民運動発祥のバークレー大学を皮切りに、アルカトラズ島、ネイティブ抵抗史の象徴ウーンデッド・ニーなどの聖地を訪れ祭りに参加した。道中バスの炎上や爆弾を仕掛けたという脅迫電話など騒動もあったが無事切り抜けた。国連本部では、通常職員さえ入れないアナン事務総長のフロアに案内された。イロコイ連邦では、古代から諸外国を迎え入れてきた正式な儀式によって招待され、沖縄を代表する我々は独立国の 使者として連邦史に記録された。憲法九条につながる武器を放棄した歴史を持ち、西洋思想家たちの羨望の理想郷になり、そしてウーマンリブやエコロジーや近代民主主義の発祥地として知られるピースメーカー伝説の地イロコイを最終目的地に、シカゴエイトのデーブ・デリンジャー、インディアン・ムーブメントのデニス・バンクスと共にアメリカの原点ネイティブの魂に触れる旅は有意義であった。

アメリカは大いなる可能性を秘めた不完全な国家である、それは建国史とネイティブ史の和合がいまだに成されていないからだ。世界最大の経済力と軍事力を持った国が目覚めたならば、人類の平和と地球の再生に大きく貢献できる。人間が編み出した科学、宗教、文化、イデオロギー一切を地球に返し、疲弊から立ち直った輝く地球こそが人類共通のアイデンティティーだと目覚めた時こそ、戦争に暴走する文明に歯止め をかける道が見えてくる。戦争は簡単に起こるし、作ることもできる、それ故に平和とは、人類精神に課せられた文明進化の最高のアートであろう。

隠された歴史と報われない歴史は、古今東西変わらず現在の仮面を被って、もつれながら姿を現してくる。平和憲法の十章第九十八条にくいこんだ第二次世界大戦のマッカーサートラウマ、そしてザンギリ頭にくいこんだ黒船のペリートラウマを、「インディペンデンス」の名の通り、独立に変容させるためには、砲艦外交から対話外交に、そして安保条約から平和友好条約に切り換えねばならない。

今年はペリー来航150年だけでなく、エイサーを沖縄にもたらした袋中上人来琉四百年で、奄美復帰50年でもある。新年を迎え、ペリー、袋中上人、アマミキヨと一緒に、戦争に明け暮れる人々と、平和運動に陶酔する人々をカクテルにして、和合のテーブルで飲みながら語ってみようではないか。

アリラン峠に虹がかかるまで(2000/10/16 沖縄タイムス)

韓国でのワールドカップの開会式は「アリラン」で幕を開け、その直前には北朝鮮で「アリラン祭り」が開催されていた。“アリラン峠を越えて行く"と唄うこの歌は、悲しみ・怨念・希望・愛など、朝鮮民族の歴史の恨(はん)と彩(さい)の情念を運んできた。現代のアリラン峠・38度線、そこに横たわる歴史は、ひとつの事件では片付けられない。その断層に潜む闇を遡ると、朝鮮戦争、第二次世界大戦、日韓併合など、西洋による植民地化の脅威に対するアジアの恐怖の掃き溜めとして、苛酷な運命を強いられてきた真実が見えてくる。日本の公使による王妃閔妃の殺害、安重根による伊藤博文の暗殺、強制連行、従軍慰安婦問題など多くの禍根を残しながら、共産主義と資本主義に分かたれた。

東西冷戦の終焉は、国際社会に大きな変革を求めてきている。核のバランスの理性は壊れ、人類の共通の未来である地球の再生をうたった「京都議定書」をアメリカは反故にした。あの忌まわしい9.11を境にして、世界の価値観は20世紀を過去のものにしてしまい、あらゆる生命を何万何千回も滅ぼす核と生物・化学兵器を暴走させ始めている。戦争とは、過去が未来にうち勝つことの意味であろう、未来を失わないためには、人類の知恵を代表する科学者の頭脳を兵器開発から平和創造のために呼び戻さなければならない。世界に暗躍する武器商人とエネルギーを利権とする商人は、新秩序の名の下にグローバルの旗をあげ、覇権の欲望を満たそうとしている。そのことを裏付けるように、アメリカの新保守派と言われる人々は、国連採決を無視してまでもイラクに武力攻撃をと唱え、さらに次なる目標はサウジアラビアであると真剣に論じている。その理由として、テロ実行犯の多数をその国の出身者が占めること、そして世界の火薬庫といわれるイスラエル・パレスチナの信管である聖地メッカとメジナをかかえることがあげられている。アメリカのエネルギー政策は、中東全般との石油外交が中断された時、いかにして維持できるかに向けられているという。そのことは、日韓を含め世界のエネルギー体系に大きなインパクトと変化を与えている。中央アジア諸国における天然ガスと石油のパイプラインの敷設、また中国とシベリアからそれぞれ、北朝鮮・韓国を経由して日本まで届く、中・露のパイプライン計画などである。小泉首相訪朝時の、タイミングの良すぎるイラクの国連査察全面受け入れや、靖国問題でぎくしゃくしていた江沢民、そしてプーチンの歓迎の態度など、国連をはさむ一連の駆け引きの中に翻弄される各国の反発や呼応の背後には、きっとEUとアメリカの覇権と秩序をめぐる熾烈な戦いがあるのだろう。そこに徘徊するアフガニスタンへの野心と、エネルギーに依存せざるを得ず、国益の名の下に日朝国交正常化を急ぐ日本政府に、共通する背景が浮かび上がる。

私は板門店に二度立った事がある。2000年5月、北朝鮮平和友好訪問団の一員として、そしてその10日後、光州事件20周年イベントに招待を受けたときである。わずか50センチのセメントのラインをまたいで3棟の青い統一小屋があり、同じ民族同士が銃を携え、そのラインを隔てて向かい合っていた。歴史とは非情なるもの、ひとつの理解があれば銃を下ろして抱き合える距離なのに、彼らを引き裂く問題は止めどもなく大きい。韓国でも北朝鮮でもアリランを唄うとき人々は涙を流す。そこには共産主義も資本主義もない。彼らを分断するシステムは産軍複合体という同じ病に冒されている。アリランは私には、主義主張を超えて自らの文化と歴史に今一度たち戻れと聞こえてくる。コリアの言葉でハナとは一つという意味である、断層の傷を癒し二つの涙を花にするためには、国境に制約されず自由に出会える在日朝鮮人が、民団と総連の間にある“心の38度線"を自ら取り除くことだ。アリランの涙と、拉致を受けた家族の涙とは、世界史を紐解けば、同じ歴史の棘に根ざしている。国家の利害関係に基づく不明瞭な国交正常化によって、拉致問題の真相を封印させず、過剰な感情論にも走ることなく、日本人と朝鮮人はもっと深く対話をする必要があろう。勇気こそが、彼岸の峠に虹をかけ、理解と和合の声を導き出し、パンドラの箱を開ける力を持つ。南北ベトナムは共産主義世界の勝利によって扉をひらかれ、東西ドイツは資本主義世界の勝利によってひらかれた。板門店の扉こそは、アリランを歌い、心に潜む戦争という峠を越え、勝利者なき勝利という鍵でひらき、人類の未来へと誘わなければならない。21世紀の戦争のあり方はテロと報復から始まった、テロにいかなる理由があろうが、報復にいかなる正義があろうが、二つに共通するのは、死体の山しか見いだせないことだ。シンプルに思考すればどこかに間違いがあることに気づく。私たちはその間違いを正し、過去の植民地主義から脱却できない分裂した西洋精神と、常に西洋の恐怖の陰におびえるアジアの精神とを和合させ、宇宙に浮かぶこの奇跡の惑星・地球こそが人類の聖地であるということを、そして人間が生きて輝く道を、この沖縄から日本・アジア・全世界に向かって示す時が来たのである。

この文章は、沖縄タイムスの連載企画「日朝関係対話再開と沖縄」と題する3回シリーズの最終回として1月16日の朝刊に掲載されました。掲載時のタイトルは、地球こそが人類の聖地「和合」沖縄から全世界へ発信です。


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