喜納昌吉&チャンプルーズOFFICIAL WEB

arrow

喜納昌吉の軌跡

1996
テスト

テスト

1996/07/06 (48歳)
アトランタオリンピック壮行コンサート「天孫祭」開催 (祭り)

ハイサイ!アトランタ!!「すべての人の心に花を・すべての武器を楽器に」をテーマに沖縄・奥武山で祭りを開催した。那覇のメインストリート国際通りでもパレードを行い、参加団体が華やかに練り歩き、エイサーを披露した。ジュディ・オング、高石ともや、ザ・ブームの宮沢和史、などさまざまなアハイサイ!アトランタ!!「すべての人の心に花を・すべての武器を楽器に」をテーマに沖縄・奥武山で祭りを開催した。那覇のメインストリート国際通りでもパレードを行い、参加団体が華やかに練り歩き、エイサーを披露した。ジュディ・オング、高石ともや、ザ・ブームの宮沢和史、などさまざまなアーティストが参加し壮行会に花を添えた。各地の伝統芸能、おもろ、琉舞、アトランタオリンピックに参加するエイサー隊ら総勢700名が沖縄・琉球・うるまの時代を越え、新しい時代を創造するステージを繰り広げた。ーティストが参加し壮行会に花を添えた。各地の伝統芸能、おもろ、琉舞、アトランタオリンピックに参加するエイサー隊ら総勢700名が沖縄・琉球・うるまの時代を越え、新しい時代を創造するステージを繰り広げた。

1996/07/20 (48歳)
アトランタオリンピック文化イベント「ハイサイアトランタ」開催

昌吉の音楽と長年に渡る平和活動が認められ、アトランタオリンピック文化公式イベントのアジア大陸代表として招聘された。昌吉はアトランタでのステージを、沖縄の精神、伝統文化を世界に発信するきっかけとして捉え、基地問題で揺れる沖縄を再びサバニで一周し平和のメッセージを募った。「天孫祭」の成功を受け総勢170名もの芸能団でアトランタ入りし、平和のメッセージを国連へと届けた。ステージからは「すべての武器を楽器に」と世界中へアピールした。

1997/05 (48歳)
沖縄独立の可能性をめぐる激論会 開催 5月14・15日

 5月15日には日本復帰の記念日として沖縄では毎年さまざまな催しが行われる。96年からうねりが起こった基地問題に端を発して、日本への複雑な感情が県民の中にも吹き出して、大きな節目の5月15日を前に「独立」という言葉が、あちらこちらで語られるようになっていた。日本への反感から始まる独立論は、感情的かつ危険な独立論でしかないと、「独立支持」「独立不支持」に分かれるのではなく、感情のみで独立を語るのではなく、まずはなぜ「独立」するのか、なぜ「独立」しないのか。歴史的背景や、経済という視点からの問題点を提議しながら、理論的に考察してみようとの呼びかけにより「沖縄独立の可能性をめぐる激論会」が開催された。
 「今回の沖縄問題は、少女の一つの悲劇から始まりました。彼女の勇気が全世界の良心をつかまえた歴史の叫びがあっったんです。ところが少女の話が国際都市形成構想というお金にすり替えられてしまった。もう一度人権問題に戻す必要がある。私はものを喰うために生きているのではありません。私は生きるためにものを食うのです。」喜納

1997/09/02 (49歳)
9月2日  サバニ・ピース・コネクション’97 

海上ヘリポートの建設問題で揺れる辺野古。住民を支援し海上ヘリ問題を名護だけの問題にするのではなく、沖縄全体、日本全体の問題であると提議しようと、サバニ・ピース・コネクション(*)’97を実施した。サバニは60、70年代CTS反対闘争(*)に燃えた金武湾、屋慶名からスタートし、本島を一周した後、辺野古へとゴールした。漕ぎ手たちを出迎えて、辺野古の町を活性化させるために「龍神祭」としてコンサートを開催した。昌吉や有志のメンバーは「少女の涙の勇気、そこにたくさんの人が気持ちを動かされた。その灯を消してはいけない。」という気持ちを持って、3回目のサバニ・ピース・コネクションを漕ぎだした。サバニを終え、ニュースステーションのインタビューで喜納昌吉はこう答えている。「サバニが基地をなくすことの解決法にならないことは承知です。しかし平和を願う気持ちを、ひとりでも多くの人の気持ちを集めること、それがいつか大きな力になると信じています。」

1997
アリランに虹を

深刻化する北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の飢餓を、隣人としただ黙って見てはいられないとしてボランティア団体と協力して本土・沖縄で4回のチャリティーコンサートを行い、北朝鮮へも訪れた。沖縄から基地を撤廃できない原因のひとつとして必ずあげられるのが「北朝鮮の脅威」である。昌吉は「脅威のために基地をなくせないのならば、脅威そのものをなくせばいい」。とまずは沖縄から誠意を見せようと「アリランに虹を」と北朝鮮へ米を贈るムーブメントを日本中に呼びかけた。

1998/08/08 (50歳)
「神戸からの祈り」 8月8日 

「私が見た神戸は、大変な不幸な出来事ではあったのですが、それをきっかけに人々のこころが神に近くなっているような気がしていました。震災は不幸なことではあるけれど、もっともっと大きく目を開いてみると、役割が課されているように感じるんです。震災から3年あまり、そのことが気になっていました。神戸の被災の時にあれだけの犠牲を出したなかで生まれた心を、もう一度醒めて見ることが出来れば、そこから大きいものが花開くのではないかと思ったのです。」昌吉
 仏教も神道もその他すべての宗派を越えて、被災者への祈りを捧げる祭りを、神戸で起こさなければならないという昌吉の提唱に、宗教学者の鎌田東二氏が実行委員として立ち上がり開催された。8月8日早朝、朝日とともに祈りを捧げるために震源地である淡路島にわたり祈りを捧げ、メリケンパークでは多くの人々とともに歌や踊りや祈りの祭りを行った。

1998
セイクレッド・ラン98

 「白船〜White Ship of Peace〜」の連動イベントとして、北は北海道からアイヌの人々を中心に、南は沖縄のメンバーが中心に、鎌倉まで日本を縦断して祈りを捧げるランニングを行った。アメリカにものを言う前にまずは自らの足元の日本の抱える問題についても声を上げようと、日本中の草の根で活動を続ける住民運動家や平和を思う人々の思いを紡ぎあげ、白船へ託すために行われた。南のルートでは、沖縄の辺野古、諌早、水俣、広島、長崎などを走り繋いだ。
 ランの合流地点の鎌倉では、セイクレッド・ランの提唱者デニス・バンクスやメディスンマンのレオナルド・クロウドック、北海道のアイヌの石井ポンペさんをはじめとする先住民たちが出迎え、喜納昌吉や一歩一歩大地を踏みしめこの日本列島を祈りとともに走り繋いだランナーたちを囲み盛大なセレモニーを行った。南北のランが、感動の合流を果たした。

1998
「白船〜White Ship of Peace〜」(祭り)

黒船がもたらした「文明開化」のおかえしに、アメリカに「平和開花」をもたらそうと、約3週間かけてアメリカ大陸を横断し、インディアン居留区、国連本部、インディアンの独立国イロコイ連邦などで、<歌・踊り・儀式・祈り・瞑想>この5要素を基に置く”祭り”を開催した。「白船」のメインテーマ「すべての武器を楽器に」を胸に刻み込んだキャラバン隊は、沖縄・日本・アメリカから総勢160名にも及んだ。「平和」というただひとつのキーワードのために、バスでアメリカを横断しながら、各地で祭りを起こし、約千年前にすべての武器を放棄し、直接民主主義を生み出したイロコイ連邦へと訪れた。

1999/10/24 (51歳)
台湾地震チャリティーコンサート(沖縄)

台湾大地震の被災者支援のためのコンサートに出演。地震の報道を受けた直後、台湾大地震義援委員会が発足し、「届けよう、琉球の心」と題して、救援チャリティーコンサートを開催した。県内企業、団体、個人などからの寄付とコンサート収益を会わせて約2000万円を中琉文化経済協会駐琉球弁事務所を通して被災者へと贈った。

1999/10/20 (51歳)
「東北アジアにおける平和のための宗教・文化フォーラム」

韓国で開催された「宗教・文化フォーラム」に日本のアーティスト代表として招聘された。ロシア・中国・韓国・日本の東アジアの国の平和的団結を目指して行われた。韓国では日本の歌を公式の場で歌うことが禁じられていたがフォーラム直前に解禁された。昌吉は韓国文化開放公式第1弾として、平和を想う歌「すべての人の心に花を」を歌い上げ、日本と韓国の新しい歴史の幕開けを果たした。

1999/11 (51歳)
台湾地震チャリティーコンサート(台北、台中、高尾)

被災者支援第1弾として沖縄でコンサートを行った昌吉は、次は心の支援をしようと台湾の台北、台中、高尾でチャリティー公演を行った。「阪神大震災の時も人々の立ち上がろうとするその姿に感動を覚えました。台湾の人が早く立ち直れば、やはり被害に遭ったトルコの人々も励みになります。がんばって下さい」と台湾で大ヒットしている「すべての人の心に花を」歌いあげた。

1999
アルン・ガンディを沖縄に迎える

2000年に開催されるニライカナイ祭りに先駆けて連動イベントとして、偉大なる指導者マハトマ・ガンディの意志を受け継ぎ平和運動を展開するアルン・ガンディ氏を沖縄に招いて「すべての暴力を超えて」ガンディ講演会を開催。本当の平和とは何かを多くの人々に問いかけた。来沖したガンディ氏は稲嶺知事への表敬の中で基地建設を反対し、海上ヘリポート建設予定地とされた辺野古の基地反対住民を支援するために訪れたり、沖縄の聖地斎場御嶽や平和の礎などを訪問し沖縄の精神文化にも触れた。昌吉の提唱するニライカナイ祭りやPEACE8・危機監視委員会に関しても賛同の意を表明した。

1999/12/31 (51歳)
辺野古のあかつきに歌おう2000年

 米軍普天間飛行場代替移設の移設先に決められた名護市辺野古の漁港で99年大晦日から2000年の早朝にかけて年越しイベントを開催した。映画「カメジロー」の上映と喜納昌吉&チャンプルーズのコンサートを夜通し行い2000年のご来光を仰ぎ、美しい辺野古にも世界中のどこにも基地はいらないという思いを参加者とともに再確認した。

2000
第4回 ニライカナイ祭り

ページトップへ


キーワード
arrow